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レビュー:「おとなになっても(8)/志村貴子」

 志村貴子先生の「おとなになっても」8巻を読みました。

 

 

 未読の方に一言でこの漫画を説明するなら「大人百合」。小学校教師の綾乃とバーで働く朱里がひょんなことから意気投合して……みたいな話。

 

 タイトルが示す通り主人公たちはもう「おとな」なので、色々なコミュニティに属している。物語は主人公ふたりの関係を軸にしながらも、それだけに終始するのではなく彼女たちをとりまくコミュニティで起きる問題を絡めながら群像劇的に進行していく。

 

 志村先生は群像劇がお得意で、コミュニティの描き方がべらぼうにうまい。それは台詞/モノローグなどのバーバルなツール、表情などのノンバーバルなツールの両方において、わずかな描写が表現するリアリティの圧倒的な深さで表現される。たった数コマで人物/環境の息づかいからそのバックボーンに至るまでの奥行きを感じることができる。

 

 この物語は、ふたりの関係にフォーカスして書いちゃえば「大人百合」なんだけど、彼女らの属するコミュニティ――ふたりとの距離を測りかねる彼女らの家族だったり、綾乃の職場でこじれた関係に悩む小学生だったり――を経由することで、なぜ彼女たちの関係性がスペシャルで、ままならなくて、愛おしいのかがより深く伝わってくる構成になっている。

 

 逆に言えば、ふたりの物語を読んでいるようでいながら、彼らをとりまく人々の生きざまの酸いと甘いも合わせて読めてしまう。一粒でいくつもの味があって、何度読み返しても面白い発見がある。

 

 その発見に通底するテーマを束ねるコンセプトとして、タイトルの「おとなになっても」がとにかく秀逸。「おとなになっても」、それだけで完結する言葉ではない。おとなになっても変わらない、おとなになっても続いてる、おとなになっても始められる――とか、読者が想像力を持って埋められる空白が、そのまま作品としての懐の広さに繋がっていると思う。

 

 8巻は「主人公たちの新生活」という形で、物語はいくつかのクライマックスを迎える。上述したマクロな構成の部分だけじゃなくて、ミクロなひとコマひとコマにキラーフレーズが盛りだくさん。

 

 個人的には、そのクライマックス……とは逸れるかもしれないが、江川さん親子が最高だった。お母さんの方はアンダーコントロールに子育てができてると思ってそうだけど実はそうじゃなくて、でも江川さん自身はグレてる訳じゃなくていい子なんだけど、親の思ってない面白い方向に成長していってる感じが……。

 

 追伸:河田!生きとったんかワレ!