GRAPEVINE「ALL THE LIGHT」:時代が彼らに追いついたというか、彼らに合う時代になったというか
GRAPEVINE「ALL THE LIGHT」を聴いた。
ALL THE LIGHT (初回限定盤:CD + DVD)
- アーティスト: GRAPEVINE
- 出版社/メーカー: ビクターエンタテインメント
- 発売日: 2019/02/06
- メディア: CD
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通算16枚目のアルバムだそうだが相変わらずマンネリ感は微塵も感じない。前作「ROADSIDE PROPHET」は歌モノ寄りで聴きやすいメロディをベースにして、その中でGRAPEVINEがキャリアの中で培ってきた引き出しから小品をちりばめたようなアルバムだったのと比較すると、今作はリズム的にも、音的にもやや実験テイストのトラックが多い印象。
メンバー3人全員が作曲できる彼ら。デビュー初期は各々の持ち寄ったメロディーをセッションで練り上げるような形で作曲を進めてきたそうだが、最近は一からジャムセッションで作る曲も多い。GRAPEVINEファンには周知の事実だが、ジャムセッションきっかけのものは"GRAPEVINE"名義、そうでないものは個人名義という形で、作曲者のクレジットに注目すると曲の成り立ちが分かるようになっている。
その作曲者のクレジットに注目してアルバムの要素を分析してみる。「メンバー全員が作曲できる」とは書いたものの、これまでの歴史上、シングルなどの売れ線曲、所謂「GRAPEVINEっぽい曲」を担当しているのはほぼドラムの亀井である。*1 その点に注目しても、今作の「亀井曲」は10曲のうち4曲しかない。クレジットから見ても、近作、というか恐らくこれまでの彼らの歴史の中でも最も「亀井曲」=「GRAPEVINEっぽい曲」が少ない実験的なアルバムといえる。
具体的には、tr.1「開花」で(多分)初めてのアカペラ、tr.4「ミチバシリ」でのタブラアレンジ、tr.6「こぼれる」での複雑なコーラスワーク、tr.10「すべてのありふれた光」の間奏のポリリズムなど。随所に新しい取り組みがみられるのが今作「ALL THE LIGHT」の感触だ。
GRAPEVINEがこうして、アップデートを繰り返しながらコンスタントに新作のリリースを続けられるのはなぜだろうか?
もちろん、各所のインタビューにあるようなプロデューサーのもたらす影響も大きいのだろうが、以下では筆者の私見を述べていきたい。
ここ数年、特にレーベル移籍以降のGRAPEVINEは良い意味で「流されている」ーー言い換えれば、「良い作品をリスナーに届ける」ということ以外については非常にこだわりの薄いバンドになっていると感じる。
自分たちの方法論であるとか、アーティストとしてどう見られたいであるとか、そうした楽曲以外のことに対しては「好きなようにやったらええやん」というのが基本的なスタンスである。例えば、「シングルカットはスタッフの意見で決めた」とか「PV撮影について言われることはなんでもやる」とか、実にアーティストとしてのプライドに欠けた(ように聞こえる)発言が彼らのインタビューでは次々飛び出してくる。
この発言たちをどう受け取るかは人によると思うが、筆者はこのスタンスこそがキモだと考えている。
近年、彼らの周りで起きている事象として、不自然なまでに新進気鋭のアーティストとの共演が増えているということが挙げられる。
やや時系列はずれるが、シャムキャッツのイベントに呼ばれたりSuchmosと対バンしてみたり、今年は中村佳穂なんていう今まさにキテるようなアーティストと対バンが決まっていたり、若くて実力のあるアーティストと共演することが本当に多くなっている。
そしていちファンの贔屓目と笑われるかもしれないが、こうしたアーティスト達からGRAPEVINEへのリスペクトを感じる。おそらくそれは音楽性について、というよりもこのバンドの生き方について、だ。
一過性のブームでしぼんでなくなるわけでも大きくなりすぎて分解してしまうわけでもなく、好きな音楽をやって感性をアップデートして、それでも長くメシを食っていけている。若い彼らからするとGRAPEVINEのようなバンドは理想のロールモデルの一つだろう。
GRAPEVINE自身が対バン相手を決めているということはおそらくないだろうからブッキング自体はきっと周りのスタッフの手によるものと思われる。想像でしかないが、レーベル移籍を期にかなり若いスタッフに入れ替わったのではないか。
彼なのか彼女なのかわからないが、そうしたスタッフたちの時代感覚と若いアーティストが持つGRAPEVINEの生き方へのリスペクト、そしてGRAPEVINEの「流されている」ことを良しとし、提案をなんでも受け入れる姿勢がこうした共演の顛末だったりすると面白い。
筆者は、こうした若い世代との共演がもたらした刺激で、彼らがもつ実験的精神が喚起されつづけていることが、彼らがバンドとして生き続け、アップデートを繰り返していける遠因なのではないかと考えるのである。
仮にそうだとすると、まるで若い女の生き血を吸って長命を保つ吸血鬼のようだが、ファンとしてはこれからも長く彼らのアップデートし続ける音楽を聴き続けられるわけであるから、一向にそれで構わないのである。
*1:ファンには(時にはメンバー自身にも)「亀井曲」などと称される。